デス・オーバチュア
第91話「二つの決着」




父王は小者だった。
大陸一の大国にして強国の王でありながら、その器量は王として最低限のレベルでしかなかった。
母はただの后、それ以下でもそれ以上でもなかった。
兄は馬鹿皇子だった。
生まれた時から世継ぎの皇子として育てられたせいで、傲慢で他者を見下す典型的な皇族に育った。
弟はお子様だった。
末の皇子として甘やかされたせいで、世間の厳しさ、何よりも人間の醜さというものを解っていない幸せな子供だった。
だが、彼らのことなど正直どうでもいい。記憶にも殆ど残っていない。
邪魔だったから、何より口を聞くのも、顔を合わせるのも面倒臭く思えたから、父母と兄を殺した。
ただそれだけの話。
その後、兄は化けて出て、見逃してやった弟は復讐を誓うが、それもまたどうでもいいことだった。
あの海に沈んだ国の記憶で、いつまでも鮮明に覚えていて忘れられないのは二人の女性。
一人は生まれて初めて愛した金髪の少女。
もう一人はこの世で一番嫌いなあの女……あの女の銀の髪の輝きだけは忘れない。
おかげで、いまだに銀髪の女が苦手だ……トラウマになる程にあの女の全てを嫌悪していた。



「お館様、お館様」
「さっさと起きぬか、ボケ!」
聞き覚えのある二つの声に眠りの世界から引き戻された。
「アトロポス……それにエアリスですか」
運命を司る女神アトロポス、彼女に出会わなかったら、自分は平凡にあの国の第二皇子として生涯を終えたかもしれない。
「くだらない……何を私らしくないことを」
歩んできた道を後悔したことなど一度もなかった。
「どうでもいいが、実験動物の始末ぐらいちゃんとしろ。それから、もっと美味い養殖をだな……」
「エアリス、口元に血がついたままですよ」
「むっ……」
エアリスは素直に口元を手で拭う。
「味については我慢してください、あなたの食事用に用意したのではないのですから。結局、一匹にしか自我を、己がスレイヴィアだと思い込ませることができませんでした。後は本能しかない文字通りただの獣だった……で、あなたがここに居るということは、準備の方はできているのですか、エアリス?」
「無論だ。城もレイヴンも完全の状態に整備完了している。いつでも動かせるぞ」
エアリスはふふんっといった感じで自信満々に言った。
「ほう、それはまた気が利きすぎるというか……面白いですね」
コクマは微笑を浮かべると、椅子から立ち上がる。
「では、少し早いですが、後片づけを始めるとしますか」
コクマは一振りの神剣と一匹の竜を従者に、ファントムでの最後の仕事を開始した。



大地から噴き出す炎蛇の数が増え続ける。
ガイを一呑みにできる炎の蛇の数はすでに八体になっていた。
「……それで限界か?」
「減らず口を……威力さえ落とせば数は無限に増やせるが、これ以上一匹ごとの威力を落としては貴様を一瞬で灼き尽くせる威力でなくなってしまうのでな……まったく、厄介な鎧と神剣よ」
ガイは炎蛇の鎌首を常にかわし続けている。
静寂の夜と黄金の鎧の防御能力を全開にしても、あの炎蛇に呑み込まれた瞬間、一瞬で灼き尽くされるということが解っていたからだ。
それ程までの超々高温の炎。
対炎、対熱、対魔の無敵の鎧も、あらゆる力を無効化する神剣を持ってしても、耐え切ることができない絶対的な炎、それが炎蛇だった。
「終わりだ」
八匹の炎蛇が一斉にガイに喰いかかる。
ガイは動かなかった。
いや、動けなかったのか、ガイの姿が八匹の炎蛇の口の中に呑み込まれる。
「魔王……いや、例え魔皇であろうとその炎には耐えきることはできない。楽しかったぞ、黄金の騎士よ」
エリカは、互いを貪り合うようにガイの姿を呑み尽くした炎蛇達に背中を向けた。
『……反(カウンター)……』
「……なっ!?」
背後からの微かな声に、エリカは驚愕の表情で振り返る。
『……四重奏(クァルテット)!』
一匹に統合された炎蛇がさらに四倍の激しさ、巨大さ、熱さに倍加され、エリカに打ち返された。
炎が世界を埋め尽くす。
「ばかなあああああああああああああっ!?」
エリカの姿は炎の波の中に溶け込むように消え去った。



普通の剣に対する神剣の持つ優位性は完全に消え去っている。
あの牙は神剣を構成する素材である神柱石より一ランク上の存在だ。
一瞬でも『気』を抜けば、あっさりと噛み砕かれる。
常に神剣に力と意識の全てを集中させていなければならなかった。


交錯する牙と大鎌。
フェイントも駆け引きももはやなかった。
魔法陣が発動するまでの残り数分間、ただ互いの『牙』を全力で相手に叩きつける。
それだけだ。
手が止まった瞬間に、命も止まる。
時間切れが先か、どちらかが斬られるのが先か、アクセルとタナトスは本能のままに互いの牙をぶつけ合わせていた。


二人の身体能力、武器の能力、本来なら差があったのだろうが、今この瞬間、二人の実力は完全に互角だった。
もし、アクセルがクロスと戦闘して消耗していなければ、あっさりとタナトスを倒していたかもしれない。
タナトスがティファレクトと戦闘して消耗していなければ、アクセルをあっさりと倒せたかもしれない。
互いに前哨戦での消耗と深手があったからこその均衡だった。
魔闘気も死気も決定打になるほどの威力はもはや残っておらず、僅かに異界竜の牙が硬度で神剣を凌駕しているとはいえ、この数分間で神剣を砕くほどの決定的な差には至らない。
壮麗さなど何もない、乱暴で力任せな牙のぶつけ合い……戦闘というより二匹の獣の喰らい合いだった。
あるいは、アクセルが正面からのぶつかり合いではなく、受け流す体術に切り替えただけでも、あっさりと決着がついたのかもしれない。
だが、今のアクセルの頭の中にはそんな発想自体なかった。
全力、己の全ての力を引き出して、それでも倒しきれない相手との互角の打ち合い。
生まれて初めて感じる何とも言えない充実感がアクセルを支配していた。
このまま、どちらかが力尽きるまで打ち合っていたい……だが、後三分……一分後には魔法陣は発動するだろう。
「牙よ、喰らい尽くせっ!」
「ああああああああああっ!」
お互いに放つ瞬間に解った。
これが最後の一撃だと。
異界竜の牙がタナトスの右胸を喰い千切るように貫いた。
魂殺鎌がアクセルの身体を右斜め一文字に切り裂く。
そして、二人は互いの横を通過し、同時に前のめりに倒れ込んだ。
「……私は……まだ……」
タナトスは魂殺鎌を杖代わりにして、ふらつきながらも立ち上がる。
この戦いの決着、それは魔法陣の発動を止めればタナトスの勝ち、魔法陣を発動まで守りきればアクセルの勝ちだ。
今すべきことはアクセルの生死を確かめることでも、トドメを刺すことでもない。
このまま、前方の魔法陣に辿り着き、破壊することだ。
タナトスはゆっくりと魔法陣に近づいていく。
魔法陣はもういつ発動しても不思議なかった。
「……まだ……終われないっ!」
終わりは贖罪からの逃げ。
それに、この後、ルーファスとも決着をつけなければいけないのだ。
「……こんな所で死んでいられるか!」
タナトスは最後の力で大鎌を振りかぶる。
これが最後の一太刀だ。
もう、後一度大鎌を振り下ろす力しか残っていない。
「…………」
背後に微かな音と気配が生まれた。
それだけで何が起きたのか解る。
アクセルが立ち上がったのだ。
だが、タナトスにはアクセルと戦う力どころか、振り返る力すらない。
今のタナトスにできるのは、この振り上げた大鎌を振り下ろすことだけだ。
背後からアクセルが迫ってくるのを感じる。
タナトスはそれにも構わず、最後の僅かな力で大鎌を振り下ろした。



「…………」
「……はっ……まったく、これだから人外の化け物ってのは……」
ガイは静寂の夜を胸に抱き締めたまま、座り込んでいる。
もう立ち上がる力も残っていなかった。
さっきの限界を超えた一撃で全ての力を使い果たしていたのである。
そんな、ガイをエリカは無言で見下ろしていた。
「さっさと殺れ……だが、できればこいつと一緒に逝かせて欲しい……」
『駄目ええっ!』
ガイの腕の中の静寂の夜が青銀色に輝いたと思うと、剣が消え、代わりに十歳にも満たないだろう青銀色の髪の幼い少女が姿を現す。
「アルテミス……」
「駄目駄目駄目っ! ガイを殺しちゃ駄目っ! 殺すなら、灼き尽くすなら、わたしだけにしてっ!」
青銀色の幼い少女アルテミスは、ガイを庇うように前に飛び出そうとしたところを、ガイに抱き寄せられた。
「いいんだ、アルテミス……やっと望んだ時が来た……戦って、戦って、戦い続けて、俺より強い奴に殺されるいつか……それがついに来た……それだけの話だ……」
「でも、嫌だよ、ガイ!」
「そうだな、お前があの世まで俺につき合うのが嫌なら……お前だけでも逃げ……」
「馬鹿ああああっ!」
アルテミスはポカっとガイの頭を殴りつける。
本気で殴ったつもりなんだろうが、人間型の時のアルテミスは外見通り幼女並の力しかなかったようだ。
「……アルテミス?」
「馬鹿、馬鹿、ガイの馬鹿っ! わたしはガイが消えちゃうのが嫌なだけっ! わたしが消えちゃうのなんて別にいいの! うう〜っ」
アルテミスは泣きそうな表情でガイを睨みつける。
「泣くな……俺なんて想像ができない程長く生きてるくせに……外見通り子供なんだからな、お前は……」
「いい、ガイ! わたし達に来世もあの世も無いの! ただ消滅するだけよ、それが人間の定めを、輪廻の枠から弾き出されてしまった者の最後よ……」
「……ああ……そういえばそうだったな……だが、別にどうでもいいことだ……」
「良くない! 来世でもあの世でも一緒に行けるならいい! でも、消滅しちゃったら、もう一緒に居られないじゃない!」
「…………」
「だから、だから、わたしは……」
「……で、我はいつまで貴様らの痴話喧嘩を眺めていればいい?」
ずっと無言だったエリカが初めて口を開いた。
呆れたような溜息と共に。
「ああ、悪かったな……さっさとやってくれ」
「むぐぅ〜!?」
ガイは抱き締めたアルテミスの口を両手で塞いでいた。
「もうよい、殺す気も失せた。死にたければ勝手に自害でも心中でも好きにしろ」
エリカはなぜか愉快そうな笑みを口元に浮かべると、ガイとアルテミスに背中を向ける。
「……情けをかけるってのか?」
「ふん、トドメを刺すも刺さぬも勝者の勝手だ。本来、なぜ他者の命を確実に止めるかといえば、それは復讐が怖いから、もう一度戦ったら勝てない可能性もあるからだ……だが、我は違う。例え、何万回貴様と戦おうと我に唯一度の敗北も無い……」
「っ……言ってくれる……」
「体は炎でできている、血潮はマグマ、心は憎悪……ゆえに、炎で我が灼き尽くされることは絶対にない……」
エリカの背中が唐突に語った。
「……ああっ?」
「我は貴様に勝ったと思えぬということだ。我は炎で灼けぬ体だから、こうして立っている……それだけだ……勝負は完全に貴様の勝ちだ」
「くだらない、何が勝負だ……先に動けなくなった方が、殺された方が負けだ……」
「フッ、確かにな……だが、ここで貴様にトドメを刺すのはどうも気がすすまん……ゆえに、生かす。文句があるなら、また我に挑むいい……その時こそ心ゆくまで互いを屠り合おうぞ」
エリカはそれだけ言うと、ゆっくりと歩き出す。
突然、エリカの前に赤い炎が降り立った。
「母上……」
炎は赤い軍服を纏った赤い髪と瞳の少女の姿を取り、エリカの前に跪く。
「カーディナル……どうした?」
「はい、アクセルは敗れ、儀式は失敗しました……」
「ほう……最後を見損なってしまったか?」
エリカは大して残念そうでもなく呟いた。
「ということは、賭けは我の負けか……クリアが勝つ方に賭けたラツィエルとDの勝ち……フフフッ、まあいい、充分楽しめた……行くぞ、カーディナル」
「……どちらへ?」
「決まっていよう、悪魔界に帰る。もう地上に用はない」
「……しかし、母上、まだ何者か闇に潜む者が……」
「構わぬ、我には関係ない、興味もない」
エリカはカーディナルを抱き寄せると、炎でできた翼を羽ばたかせ、宙へと舞い上がる。
羽ばたきの度に舞い散る火の粉が幻想的なまでに美しかった。
「静寂の女神に黄金の騎士よ、再び我と戦いたくば、悪魔界まで追ってくるがいい。いつでも相手になろう……さらばだっ!」
一際激しく炎の翼が羽ばたく。
エリカの姿は無数の火の粉の嵐の中に消え去っていった。
「……逃げられちゃったね。というか、見逃されて……悔しい、ガイ?」
アルテミスは、エリカの残した火の粉……炎できた無数の羽の雨を眺めがながら、最愛の恋人、永遠の伴侶に尋ねる。
「…………」」
だが、返答はなかった。
「ガイ? ああ、眠っちゃったの……そうだね、わたしももう疲れたよ……おやすみ、ガイ……」
アルテミスはガイに抱き締められたまま、瞳を閉じる。
今後のこととかいろいろ考えなければいけない気もするが、今はとにかく眠りたかった。
愛する者の胸の中で……彼がまだ生きている証である胸の鼓動を聞きながら……安らかに……。







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一言感想板
一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。



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